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2016年6月28日 (火)

残さず食べる

 先日テレビで「日本では残飯が多く捨てられている。もったいない。世界では飢餓に苦しむ多くの人がいる。残さず食べましょう。」と放送していた。
 腹が立つ。 教師のような物言いに。 学校給食を思い出す。冷めて底にいっぱい粉がたまった脱脂粉乳がどんなにいやだったか。かたくてかみ切れない鯨肉,涙目になって無理矢理飲み込んだあのいやさ。給食後の休み時間も午後の授業時間もアルミの食器を持たされて廊下に立たされていた子もいたあの給食。(給食にはユニセフの援助物資も含まれていたようです。)
 「残していい」そう言いたい。テレビでの物言いはソフトだが,かっての教師の物言いと同じだと思う。お説教をたれるのではなく,テレビ局はアフリカ,ラテンアメリカ,南アジアの飢餓地域へ直接出かけ,汗をかいて飢餓の取材をしてルポルタージュなりドキュメンタリーなりを放送するべきだと思う。それが飢餓に対する思いや飢餓対策の必要性を視聴者が考えることになるのであろう。公正で中立,自立した報道機関は役割はそこにあるのではないのだろうか。
 給食で脱脂粉乳を飲んだ世代の私は食べ残しをすることに後ろめたさ? 罪悪感?を感じます。だからこそ「残していい」そう言わなくっちゃ。
 
 

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